刀根さんは1935年東京生まれ。60年に日本初の即興演奏集団「グループ音楽」を小杉武久や水野修孝らと結成。62年にはフルクサスに参加、日本初のコンピュータ・アート・フェスティバルを65年に企画。『美術手帖』の編集委員などを経て72年に渡米。それ以降、ニューヨークを拠点に今日に至るまで数多くの作品をつくり続けてきた。このあたりのことは読者の皆さんもよくご存知だろう。
刀根さんとの出会いは2001年。わたしが自分なりの道を歩むことができたのは、刀根さんが切り拓いた道があったからと言っても過言ではない。その刀根さんと出会えたことが何より嬉しかった。それ以降は、ニューヨークや東京などで何度か共演をし、ともに時間を過ごしてきたけれど、何より大きかったのは2017年にわたしが芸術監督を務めた札幌国際芸術祭において刀根さんの作品を紹介する機会をつくれたことだ。それに先立ち、ニューヨークで長時間の対談したことも忘れられない(この対談は拙著「音楽と美術のあいだ」に収められている)。
この時期、すでに長距離のフライトが厳しい状況だった刀根さんの意思を汲みつつ、札幌では薮前知子のキュレーションで刀根さんのAIのコンサートが行われた。タイトルは「AI deviation」。照明等一切の演出もない地明かりステージにはラップトップが無造作に置かれ、同じく地明かりの会場にはひたすら暴走する刀根さんのAIからの爆音が放たれ続けた。最後には、当時まだ不完全だったAIが延々と同じシークエンスを繰り返し出し、テクニシャンの伊藤隆之が電源を切って強制終了。通常のホールなのにコンサートの体をまったく成しておらず、この徹底して無造作な感じがめちゃくちゃかっこよかった。

提供=札幌国際芸術祭実行委員会

提供=札幌国際芸術祭実行委員会
刀根さんは説明の文章にこんなことを書いている。
AI Deviationは、ヴァーチュアルなYasunao Tone(略称〜V.Y.T)が演奏を行いますが、このV.Y.T. はフィジカルに存在するYasunao Toneを否定するべく出現するのであり、絶対的にヴァーチャルであることによって、あらゆる現前するYasunao Toneという主体はV.Y.Tと、このヴェニューにおける観衆との協働によって乗り越えられ、作者という現前の不在が可能であるような自律的な分野を創出するのです。
刀根さんは、最後まで徹底して、音楽家の美的な価値観を嘲笑っていたと思う。でもこの不安定なAI作品の音ですらも刀根さんそのもので最高にカッコよく聴こえてしまう矛盾。こんなことを言うと、きっと、あの独特の江戸弁で「馬鹿に付ける薬はねぇな......」なんて笑いながら返されそうだけど、でも、こんなメチャクチャなもんに身体でカッコよさを感じる世代が出てきてしまったのは刀根さんの功績(責任?)だとも思っている。
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