「ゾフィー・トイバー=アルプとジャン・アルプ」(アーティゾン美術館)開催中。担当学芸員が語るその魅力とは【2/3ページ】

ふたりの抽象表現はどこから来たのか

──本展導入部は、2人の初期の抽象絵画やトイバー作のビーズ刺繍作品などが並びます。なぜトイバーは、抽象に関心を持ったのでしょうか。

 トイバーが作家活動を始めた1910年代半ばは、抽象絵画の出始めの時期でした。ヴァシリー・カンディンスキーはミュンヘンで1910年に、フランティセック・クプカも同じ頃にパリで抽象画を始めたので、スイスにいた彼女も作品や動向を知っていた可能性があります。また、手がけた刺繍技法クロス・ステッチの影響も指摘されています。

第1章「形成期と戦時下でのチューリヒでの活動」展示風景より 撮影=木奥惠三

──織目に即して糸を交差させて布を刺し埋めるクロス・ステッチは、垂直・水平・直交線の集積により文様が形成されます。これを起点に抽象に向かったという説は説得力がありますね。

 注目したいのは、トイバーが作家活動の初期からテキスタイル作品とともに紙の作品に取り組み始めたことです。色鉛筆や水彩など画材は簡便ですが、テキスタイル作品の下絵ではない独立した作品もあります。技法に一定の制約がある刺繍と違い、思うままに構想を形にすることのできる紙の上で様々な造形を試みています。「形そのもの」をつかみ出すような彼女の造形感覚は、テキスタイル作品のみではなく、紙を用いた絶えざる試行によってこそ養われたといえるでしょう。

ゾフィー・トイバー=アルプ 抽象的なモティーフによる構成(手帳カバー) 1917–18頃 アールガウ州立美術館、アーラウ(個人より寄託)
ゾフィー・トイバー=アルプ 無題(クッション) 1920 アルプ財団、ベルリン/ローラントシュヴェルト

──東京国立近代美術館で回顧展が開催中のヒルマ・アフ・クリントは交霊術や神智学に傾倒して抽象表現を生み出しましたが、トイバーとアルプはどうでしたか。

 そうした神秘主義的傾向は、トイバーには見受けられません。彼女の作品は、同じ幾何学抽象を描いた同時代人のピート・モンドリアンとよく比較されます。モンドリアンも神秘的直観により世界を把握しようとする神智学に関心を寄せましたが、トイバーはもっとドライと言いますか、即物的です。第2章に人間の形から着想した彼女の絵画を展示していますが、身体や日常的な事物に即して形を追い、画面に躍動感やリズムを産み出しています。

第2章「越境する造形」展示風景より 撮影=木奥惠三

 アルプは、早い時期から芸術における個人主義を克服すべきだという考えを持っていました。既存の美術教育・制度に対する嫌悪やロマン主義への共鳴を通して、独特な思想を育んだようです。その彼が、第一次世界大戦で生じた虚無感を背景に既成の美学や価値観を否定するダダに参画したのは必然的だったと思います。

第2章「越境する造形」展示風景より 撮影=木奥惠三
ジャン・アルプ 花の頭部をもつトルソ 1924 アルプ財団、クラマール ⓒVG BILD-KUNST, Bonn & JASPAR, Tokyo, 2024 C4772

──トイバーとアルプは1922年に結婚し、彼女は以後「トイバー=アルプ」姓を名乗りました。どのような共同生活を送ったのでしょうか。

 2人の生活の転機になったのは、1929年にパリ南郊のクラマールに自邸兼アトリエが完成したことです。その3年前に夫妻はストラスブールの歴史的建築「オーベット」の改築に伴う室内デザインの依頼を受け、その報酬で地所を購入できたのですね。仕事や活動の関係で別々に暮らすことが多かった2人は、やっと落ち着いて一緒に住めるようになりました。

第2章「越境する造形」展示風景より 撮影=木奥惠三

 近代建築や室内装飾にも通じたトイバーは、オーベットで幾何学的形状と最新の色彩理論を生かした斬新なインテリア・デザインを実現しました。自邸も彼女が設計し、室内に置く家具や日用品もデザインしました。3階建ての自邸は、居間や寝室より個々のアトリエに広い面積が割かれ、2人が生活空間より創作空間を優先したことがうかがえます。

第2章「越境する造形」展示風景より 撮影=木奥惠三

編集部

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