展示形式から見える制度の変化と、ファンドレイジングを通して社会とのつながり
また、今回の記者会見では、日本館の運営や制度設計のあり方についても荒川ナッシュが語った。例えば、ダムタイプや毛利悠子の出展以降、アーティストがキュレーターを指名する形式が続いていることに言及し、「この形式では、アーティスト自身のマネジメント力が問われるようになっており、展示制作のあり方そのものが変わってきている。そこに非常に興味を持っています」と語った。
このような意識は、作品制作だけにとどまらず、展覧会運営やアーティストの「働き方」そのものにも関わっている。荒川ナッシュは、「アーティストがファンドレイジングを行う場合、それはたんなる資金調達行為ではなく、作品やプロジェクトの一部として位置づけられるべき」と述べる。実際、日本館の展示では、作品制作と並行してファンドレイジングの準備も進められており、今年の夏には支援を呼びかける広報活動もスタートする予定だという。
こうした荒川ナッシュの考えに対し、高橋も自身の経験を交えて補足した。彼女が勤務する香港のミュージアムでは、展覧会を立ち上げるにあたりファンドレイジングが不可欠であり、その過程で「展覧会の社会的意義を伝える力」がキュレーターにも求められるようになったと語る。
「日本にいた頃は、キュレーターの主な仕事はリサーチやコンセプトの構築であり、資金集めは別の領域だと考えていました。でも、海外で実務にあたるなかで、ファンドレイジングもキュラトリアルな仕事の一部として再定義できるのではないかと感じるようになりました。なぜこの展覧会を行うのか、なぜこの作家が重要なのか──それを丁寧に社会に語りかけることが、支援者を育てていくことにもつながるのです」。
さらに高橋は、今回の取り組みが将来的に日本館で展示を行う若手作家たちにとっての「モデル」となる可能性についても触れた。「ファンドレイジングをリサーチやキュレーションと切り離して考えるのではなく、むしろオーディエンスや支援者を『育てる』『発掘する』といった視点でとらえることもできると感じています」と語った。
荒川ナッシュは次のように話した。「パフォーマンスアートは、オーディエンスの存在がとても重要です。その意味では、ファンドレイジングという行為も、オーディエンスとの関係性を考えるきっかけになり得る。どういうオーディエンスに向けて作品を届けたいのかを、自分たちで認識していくプロセスの一部とも言えるのではないでしょうか」。
荒川ナッシュ医の双子の子供たちと観客、そして国境を越えて集まったキュレーターとの協働によって、制度と身体、政治と感情が交差する“集団的創造”の場として構想されている、第61回ヴェネチア・ビエンナーレ日本館展示。2026年春、ヴェネチア・ジャルディーニにある展示空間でどのような体験が立ち上がるのか──その展開に大きな期待が寄せられている。
