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キュレーションと公平さの狭間で。檜山真有評「(こどもの)絵が70年残ることについて」【3/3ページ】

 キュレーションと公平さとは対極にある、ということを示しておきながら、なおもキュレーションも公平さも手放そうとしない。本展を覆うこのプロジェクトの意図はキュレーターによる展覧会制作によって暴かれるのではなく、キュレーターが展覧会制作によって悩み、ためらいを隠さないことによって暴かれる。つまり、特権的であることとマイノリティであることは紙一重でありながらも、どこまでも深い非対称性を持っていることを真正面から受け止めるゲストキュレーターの真摯であろうとする態度によって、プロジェクトは成り立っているのだ。

 しかし、この深い非対称性にこそ「アート」が「アート」と呼ばれてきた由縁がある。特権的でありながらマイノリティ、特権的だからこそマイノリティという旧来のアートを成り立たせる考え方を打ちこわしながらも、あらたなる「アート」の制度を再構成してゆくのがキュレーションの使命だということを展覧会ではなく、プロジェクトが伝えてくる。

 そのために考えるべきは生まれてしまって会期が終われば現実空間からは消えてしまう展覧会というものの価値をどのように分有し、そのための方法論を実践してゆくか、である。通常の展覧会であれば、その価値は良いものも悪いものもキュレーターと作家が大きく分有する。ただ、本展は出品作家とキュレーターが展覧会の価値を分有するのではなく、プロジェクトとキュレーションによって絶対的な姿は想像しうるが周縁はどこまでも果てしないぬかるみで区切りをつけることができない「障害」と「アート」という制度や関係に価値は還元されてゆく。価値は何にとって有用かといわれたら、どこまでも自分の欲望に賭けられる個人的な原動力とプレッシャーであるからだ。

  とはいえ、価値が出品作家を取り巻く制度や環境に還元され、かつ、キュレーターが真摯であろうとすることを前提として組み込まれたプロジェクト設計は、あまりに予定調和ではないか。あらかじめ諸々計算しておくことは確かに公平的だし、見積もりはキュレーションでも大事なことである。しかし、そればっかりだと生を実感するような熱狂もスリリングさもない。そんなのあまりにさびしい、さびしくない?

編集部

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