第3章「翠石がライバル? 竹内栖鳳の芸術」では、竹内栖鳳を特集。1900年のパリ万博に出展し、翠石の金メダル受賞に衝撃を受けた栖鳳は、帰国後にそれまでの「棲鳳」の雅号の棲の字の偏を変えて「栖鳳」と名乗るようになる。パリ現地で動物園に通ってライオンを写生し、帰国後には「動物を描けばその体臭まで描く」と形容されるほどの注力を示した栖鳳の芸術世界を、《猛虎》《獅子》(ともに後期展示)といった名品とともに振り返る。

第2会場の嵯峨嵐山文華館は2章構成だ。第1章「万博と画家」は、当時の日本政府が賞を獲得し国際的な地位を高めるために、巨匠や有望作家をどのように選定して見せていったのかを取り上げる。ベテランの橋本雅邦や今尾景年、次世代の横山大観や竹内栖鳳らを比較しつつ鑑賞できる。
第2章「当時新進気鋭の画家と翠石」は、万博で活躍した当時の新人画家のなかでも、現在は語られることが少ない大橋翠石らを特集。福田美術館と同様に、嵯峨嵐山文華館でも翠石の作品が展示されるほか、野沢如洋や下村観山の貴重な作品も見ることが可能だ。