荻野いづみと現代アート
本記事も、イタリアと関係のある女性がアートとモードを介して創造を追求する話だ。「ワイヤーバッグを生んだ女」荻野いづみの半生は、豊かな感性と大胆な独創性を兼ね備えたスキャパレリのそれと通じるものがある。荻野も祖国(日本)の首都で裕福な家庭に生まれ、若くして結婚。その後、夫の仕事で渡米、離婚を経て子供を連れた移住先でファッションビジネスに携わることになる(スキャパレリはバイヤーとしてパリで、荻野はリテイラーとして香港で)。スキャパレリは偶然その服を手に取ったポール・ポワレ(*4)の支援を得、荻野も知人の紹介でプラダ社の極東拠点立ち上げに関わり大成功ののちに自社を売却し、それぞれファッションクリエイターに転身した。
スキャパレリは、同時代の女性デザイナーであるココ・シャネルと競い合いながら、戦時中のフランスと顧客のいた米国を行き来した。荻野は、日本と香港に拠点をおきつつもファッションビジネスを学んだミラノで1993年「ANTEPRIMA」を発足。イタリア語で「デビュー前」を意味し、当時38歳だった自身を「女性のデビューに年齢は関係ない」と励ました。その後も「タイムレスなラグジュアリーさと現代のスタイルを持ち合わせたモダンな女性像」をめざしながらブランド哲学を確立していく(*5)。同時に、前述の先人らのように荻野も現代アーティストや他分野のクリエーターとの交流を大切にし、作品収集や次世代サポートもしながら、アートとファッションの融合に挑戦していく。
ある日、コレクター仲間から加藤泉を紹介された。サン=ローランにとってのモンドリアンのように、荻野が一人のアーティストから着想を得て創作するのは、2024年春夏コレクションでの竹村京から始まり、ディレクションも含めコラボをしたのは2025年春夏コレクションの田島美加が初めてだった。 続く加藤の作品をじっくり観察するうちに、その生命感あふれる形態や、触感を伴う独特の色彩に魅了された。そして、そこにはアンリ・ルソー的なプリミティズムの要素があると感じたという。ルソーの絵画に見られる、無垢で直感的な表現──とくに原始的な色使いや形象の質感──が、加藤の作品に共鳴するように思えたのだ。また、共に多忙なダブルIzumiが東京と香港を拠点にしていたことも幸いし、効率的に打ち合わせや制作チェックを重ね、コレクションの準備を整えていった。


Izumi Kato Untitled 2021 Oil on canvas
Photo: Kei Okano Courtesy of the artist
©️2021 Izumi Kato
*5──2025年3月現在、荻野いづみはクリエイティブディレクターとして、ANTEPRIMA Ltd(香港本社、従業員数50名)と、日本(20店舗)、香港(9店舗) 、中国(7店舗)、イタリア、ハワイ、タイ、シンガポール(それぞれ1店舗)を統括する。ミラノサローネにも参加、13年日本イタリア交流400周年で在ローマ日本国大使館大使公邸でのショー開催や、 15年ミラノ万博日本館の特別大使ハローキティの衣装を手掛けるなど幅広く活動。その功労に対して16年に続き、23年にイタリアの「Tao Moda Award」を受賞している。