写生の祖が残したもの:藤花図屛風の章
円山応挙は写生を旨とし、それまでの日本画にはなかった新しい画風を打ち立てて、円山派の祖、および四条派の源流として以後の日本画壇に大きな影響を与えた。その描写は単なる写実にとどまらず、対象の「真」をとらえ、細密と大胆さを併せ持つ高度な筆遣いに日本美を表している。
《藤花図屛風》は、「付立て(つけたて)」の墨の濃淡だけで表された幹や枝がにびやかな立体感を表し、青、白、紫の絵具が重ねられた藤花には、花弁の柔らかさとともに匂いまで感じられそうだ。中央に大きく空間を取り、左右にアシンメトリーに配した構図も見る者を花樹の下に誘い込むように絶妙で、国宝の《雪松図屛風》にも引けを取らない彼の「写生画」の真骨頂といえる。

こうした師の技と眼を学んだ後継たちは、写実味に装飾性を加えつつのちの画壇を席巻していく。最初期の弟子・源琦(げんき)から、四条派の祖となる呉春(ごしゅん)、狩野派を学んだのち、応挙の影響を受けて動物画にすぐれた森祖仙(もり・そせん)、高弟のひとり山口素絢(やまぐち・そけん)に、四条派の草花図を確立したとされる松村景文(まつむら・けいぶん)の作品と並ぶことで、応挙の抜きん出た「写生力」とその革新性、そしてのちの展開が見えてくる。

