2章では、生活造型の理念がデザインやパブリックアートとして展開された事例を紹介。「絵画は独占するものではなくより多くの人々を喜ばせ、みちびくもの、多くの人々のためになるべきもの」という猪熊ならではの考えがあったからこそ、ポスターや雑誌の表紙・装丁から、巨大壁画に至るまで幅広い仕事を手がけるに至ったことがうかがえる。



3章では、1955年に拠点をニューヨークに移し、その後20年にもわたる滞在期間中に猪熊が果たしてきた日米文化交流の役割について紹介している。海外渡航が珍しかったこの時代に、政治家や起業家、一般人に至るまで多くの人々が猪熊夫妻を訪ねたという。ここでは、「民間大使」とも呼ばれるほど交流の中心を担っていた彼らの活動がわかる資料を展示。ほかにも「日本空港ニューヨーク支店」の内装を手掛けた吉村順三との現地での協働や、その後猪熊から吉村に依頼をした猪熊邸などについても、資料や再現模型とともに展示されている。

