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単数的にして複数的な探究。中島水緒評「ヒルマ・アフ・クリント展」【2/4ページ】

2.

 ひとつの様式から別の様式へ。それはおそらく、複眼的なヴィジョンで、もしくは複数のルートから宇宙の姿を探ることに等しい。単一の様式では現世の常識を超える霊的探究のプログラムを表現しきれない。ゆえに、このようなハイブリッドな方法論が要請されたのではないか。港千尋はアフ・クリントの描く宇宙が「一神教文化から生まれた多世界宇宙論」のようだと述べ、マルチヴァース論からアフ・クリントの絵画を読む興味深い観点を示しているが(*3)、「神殿のための絵画」の重層的なシリーズ構成はまさに「複数の宇宙」のモデルになぞらえたくなるものだ。一連の絵画をまとめて見れば、鑑賞者は異なる秩序がつかさどる別々の宇宙を、階層を行き来するようにトリップするだろう。このトリップ感覚を確保するためにも、一連の作品は一点ものではなく集合体として捉える必要があるわけだ。

 では、画家自身にとっては、複数の様式を矢継ぎ早にこなしていく制作プロセスはどのような経験だったのか。「10の最大物、グループⅣ」(1907)の10点組は、4日に一枚というハイペースでわずか2ヶ月の間に仕上げられたという。制作日数や作業の進め方は高次の霊的存在からの指示によって厳格に定められていたという。となると、そこに画家の主体性はどれほどあったのか、という疑問が浮かぶ。

「ヒルマ・アフ・クリント展」より。「10の最大物」(1907)の展示風景 撮影=三吉史高

 解体すべきは作品の産み手としての主体性に押しつけられた芸術家神話だ。主体性が希薄であることは必ずしも批判される点ではない。そもそも、霊からのメッセージを媒介するために滅私の様態に近づくこと、なるべく純粋なメディアと化すために主体を放棄することは霊媒の条件である。「個」としての主体を超え出ること、集合的無意識にアクセスすること、そこに霊的な探究の要諦がある。だから、複数の様式間のサーフィンが主体の分裂を招くとしても、アフ・クリントにとってそれは畏れる事態ではなかったのかもしれない。1905年、「神殿のための絵画」を制作する前に、アフ・クリントが霊的存在から受けたとされる啓示の言葉がある。「汝、盲目と戦え。汝、己を否定せよ。汝の誇りは打ち砕かれるであろう。汝の弱さが試され、よろめきつまずくであろう。汝、叫ぶ声となれ。だが、その前に砕かれ塵となるであろう」(*4)。

 「啓示」のファクトチェックは不可能なので、ここでは「啓示」の受容プロセスが主体にもたらす変容に焦点を当てる。「啓示」の声は「啓示」を受けた者に対し、霊的探究に従事する前にまず自己を否定し、塵として雲散霧消しなければならない、と語りかける。これは、宗教哲学者のルドルフ・オットーが『聖なるもの』(1917)でまとめた、神秘的・超越的な存在にふれた人間が辿る心的状況の図式と一致する。オットーによると、合理的概念で把握しえない「語りえぬもの」を前にして、人間はまずおのれの無力さを徹底的に思い知り、自身の虚無性に打ち沈む。すべての被造物の上に立つ超越者に比して、自分は塵芥に過ぎないとする自覚を、オットーは「被造者感情」と呼んだ。あらゆる神秘体験はこの被造者感情をベースとし、自身を低い段階に置く落ち窪みの様態、つまり否定形を契機に始まるということだ(*5)。

 他方で、霊的な経験にふれた人間は、超越的な存在との合一を果たしてエクスタシーへと至る場合もある。我を忘れた恍惚状態、すなわち法悦である。エクスタシーの原義はギリシア語で「外に立つこと」を意味する「エクスタシス(ekstasis)」であり、魂が肉体を離れて宙にさまよい出ることを指す。滅私、脱魂、脱自、法悦、忘我……。霊的探究の始点にも極点にも、さまざまな呼び名で語られる自己超出の様態がある(*6)。

 接頭辞「ex-」には「外へ」「離れて」の意味があるが、興味深いのは、「我を忘れる」「自己の外に出る」といった「ex-」の経験が、造形芸術における「抽象」の定義とも響き合うことだ。心理学者のルドルフ・アルンハイムが「抽象とはなんでないか」を考察する際に参照した「抽象」の原義を引こう。

その文字どおりの意味では、抽象(abstraction)という語は消極的である。それは取り除くことである。abstrahereという動詞は能動的には、なにかをどこかから取り去ることで、受動的にはなにかを取り去られることだから、それは除去を意味する。オックスフォード辞典は十七世紀の用法を引用している。「われわれが肉体から抽象されるほど、……われわれは神の光を見るにふさわしい」。放心状態の人は「抽象されている」。[…]「抽象のなかにある」人は、ほんとうに知らない人のことである。(*7)

 ここでは何かから何かを引く、取り去るという減法の発想が「抽象」の基底にあるものとして確認されている。「私(の意識)」が「私(の肉体)」から取り去られているとき、つまり「私」が「私であること」を忘れる放心状態のとき、まさに「私」が「私」の外に出るエクスタシスの様態においてこそ「抽象」が成り立つというわけだ。むろんここで、『抽象と感情移入』(1908)の著者であるウィルヘルム・ヴォリンガーによる理論を思い出してもよい。ヴォリンガーによれば、すべての美的体験の共通的な欲求とは「自己抛棄の欲求」である。そして「抽象衝動においては、自己抛棄の欲求の強さは比較にならないほど大きな、そして徹底的なものである」(*8)。

 以上を踏まえて、アフ・クリントの絵画は還元主義的な意味合いでの「抽象絵画」ではないが、「私」から「私」を取り去る抽象作用の産物であったと読み替えることができるかもしれない。すなわち、アフ・クリントは、自己投擲というすぐれて抽象的な経験を経て普遍へと開かれ、一連の作品を生み出したのだ、と。

*3──港千尋『ヒルマ・アフ・クリント 色彩のスピリチュアリティ』インスクリプト、2025年、217頁。
*4──エリック・アフ・クリント「ヒルマ・アフ・クリントとその作品」『ヒルマ・アフ・クリント展』東京国立近代美術館、日本経済新聞社、2025年、253頁。
*5──以下を参照。オットー『聖なるもの』久松英二訳、岩波書店、2010年。
*6──本展の担当学芸員・三輪健仁(東京国立近代美術館美術課長)は、図録に寄稿した論考において、アフ・クリントが制作において自身の立場を「忘我の道具」と見做していた点に着目し、「10の最大物」における画家の主体性の介入を考察している。三輪が注目するのは形象を支えるフィールドとしての「地=色面」である。「〈10の最大物〉の「地」を、アフ・クリントが高次の霊的存在を制作に導入し、主体を放棄した現われと捉えるならば、ここでアフ・クリントは「主体=画家」の立ち位置を離れ、自らを「客体=対象(オブジェクト)」と「絵画」との間へ挿し込んでいる」。以下を参照。三輪健仁「彼方よりの絵画」、前掲書(*4)、18-20頁
*7──ルドルフ・アルンハイム『視覚的思考 創造心理学の世界』関計夫訳、美術出版社、1974年、192頁。
*8──ヴォリンゲル『抽象と感情移入 東洋芸術と西洋芸術』草薙正夫訳、岩波書店、1953年、43頁。

編集部

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