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単数的にして複数的な探究。中島水緒評「ヒルマ・アフ・クリント展」【3/4ページ】

3.

 アフ・クリントは「個」の殻に閉じこもる画家ではなかった。むしろ、みずから進んで「個」の外へと赴いた。親しい女性たちと「5人」というグループを結成し、交霊会で自動筆記の手法によるドローイングを描いていたのは、近年では周知のエピソードである。また「原初の混沌」「エロス・シリーズ」「10の最大物」なども、じつはアフ・クリントだけでなく、女友達が関与して制作を手伝っていたという説がある(*9)。自己を放棄する霊媒の手法が制作の軸にあり、複数の描き手によるグループワークが本当に行われていたのだとしたら、一連の作品をヒルマ・アフ・クリントという一人の主体の名に帰属させる作家論や、旧来的な美術史の記述は機能しなくなる。

 埋もれていた作品群が美術史の語りの作法を根本から覆す。ただし、こうしたコペルニクス的転回にも留保は必要だ。自己投擲した主体の在り方や集団制作ばかりを取り沙汰していては、アフ・クリントの作品をめぐる分析は片手落ちになる。長きにわたって研鑽を積んだ画家が「個であること」を完全放棄していたとは思えない。重要なのは、宇宙の真理に至るための探究が、アフ・クリント個人で単数的に行われることもあれば、志を同じくする他者たちと複数的に行われることもあったという二面性だと思われる。

ヒルマ・アフ・クリント ユリを手に座る女性[グステン・アンデション] 制作年不詳 キャンバスに油彩 70.5×56.5cm By courtesy of The Hilma af Klint Foundation

 ここで注目したいのが、「単数として霊的探究に従事する存在」を描くのに適した「肖像画」というジャンルである。今回の出品作のひとつに《ユリを手に座る女性[グステン・アンデション]》(制作年不詳)という肖像画がある。自然主義的な作風で、アフ・クリント作品のなかではノーマルな部類の作品といえるが、ラフな筆触による描写には所々に奇妙な点が見受けられる。とりわけ異様なのが背景処理だ。人物の背後に画面を四分割する垂直・水平線があり、そこから光線のような放射線が派生している。四分割の線は露骨に十字架を連想させ、人物はこの十字架に磔にされているとも恩寵を受けているとも解釈できる。人物がまとうケープと椅子は同系統の緑色で一体化しており、俯いて物思いに耽る人物を外側から挟み込むように(拘束するように?)しっかりと固めている。さらに、ケープの包み込みがつくり上げる緩やかな螺旋状の流れは、人物の手先にあるユリを結節点として、ケープと腕を囲いとする虚の空間(それはまるで貝殻の内奥だ)に鑑賞者の視線を導く。ちなみに、ユリはアフ・クリントが「神殿のための絵画」でも繰り返し用いたモチーフであり、しばしばバラと対を成して二元性を象徴する。また、やや牽強付会かもしれないが、人物の左右から覗く椅子脚は、アフ・クリントの象徴体系において「高次の霊的存在」を意味する「H」の文字にも見えなくはない(*10)。明確に結像していない潜在的な要素も含め、アフ・クリントの絵画でお馴染みの象徴が画中に仕込まれているのだ。これは、内省する個人の身体に迫る、霊的経験の前兆を描いた作品なのではないか。

 じつは、この「ユリを手に座る女性」と近い系統の作品が「神殿のための絵画」でも制作されている。「グループVIIIのための準備的習作、女性シリーズ」(1912)、「男性シリーズ」(1912)と呼ばれる2つの作品群のことである(残念ながら今回の展覧会には出品されていないが、図録のカバー裏に印刷された「神殿のための絵画」全点の図版で両シリーズを確認できる)。いずれも祈祷や瞑想に集中する修道女/修道士たちを一枚の画面にひとりずつ描いた肖像画であり、自然主義的なスタティックな作風ゆえに、様式の変化が激しい「神殿のための絵画」のなかではむしろ異彩を放っている。「女性シリーズ」の各作品に付された「剥奪(Deprivation)」「逡巡(Hesitation)」「恥辱(Humiliation)」「歓喜(Joy)」といったタイトルが顕著に示すように、これらは霊的探究の殉教者がたどる心的状況の定型表現なのかもしれない(オットーが『聖なるもの』で図式化した心的状況と比較してみてもよい)。

本展図録表紙帯の裏面「神殿のための絵画」一覧より。「グループVIIIのための準備的習作、女性シリーズ」(1912)、「男性シリーズ」(1912)

 だが本当に重要なのは、定型表現によって覆い隠された主体の内面の「うかがい知れなさ」のほうだ。修道女/修道士の一人ひとりは身体をすっぽりと包む僧衣をまとい、孤独な内的世界に閉じて沈滞している。彼・彼女らの内部に生起する感情や感覚は、外側からは計り知れない。つまり、祈る人を描く人(=アフ・クリント)は、単独者として聖なる経験をしている人の外側に立ち、外化された「信仰」の形式のみを距離をおいて客観的に表現しているということだ。「女性シリーズ」「男性シリーズ」は、目に見える外観と目に見えない内観の分離をむしろ強調する。目に見える外観の描写が達者なだけに、目に見えない内観が隠された主題として匂い立つと言ってもよい。

 ここで思い出されるのが、「黙読」という読書行為の起源をめぐる逸話である。アルベルト・マングェルは読書の歴史をたどる著書において、声を出さずにテキストを読む「黙読」という行為が中世以降に誕生した文化であることをまとめた。それ以前のキリスト教世界では、識字率も低かったため、テキストを読むという行為は他者と内容を共有する音読(朗読)が中心だったのだ。声に出して読む読書行為が一般的だった時代、神学者のアウグスティヌスが黙って書を読むアンブロシウスを目撃して、声も出さず舌も動かさずに読書する光景に面食らった、という伝説まである(*11)。黙読する人が聖典を「正しく」読んでいるとは限らない。この秘匿的な行為が大量の異端を生んだというのは非常に興味深い現象である。

 「ひとりで祈る人」というのは「黙読する人」に似ている。信仰に殉ずる彼・彼女らは不可侵の内的世界に閉じこもり、「自分」と「自分以外」の存在が決定的に異なる空間に属していることを見る者に突きつけるだろう。アフ・クリントが「女性シリーズ」「男性シリーズ」において一枚一枚のキャンバスに存在たらしめたのは、そのような外界とのズレを発生させる閉鎖系の身体だった。瞑想の小宇宙がそれぞれの修道女/修道士の閉じた内面のなかにまったく別個のものとしてある。そして、シリーズとして複数枚の肖像画が制作されると、瞑想の小宇宙が複数化する。一人ひとりの身に訪れているのは特殊な経験だとしても、群れを成せばそれらは霊的探究の段階を図示するサンプルとなり、普遍性をまとったカテゴリを形成する。さらに一群の絵画が、「女性シリーズ」「男性シリーズ」として「神殿のための絵画」のなかで対関係をつくることで「男性原理」「女性原理」という二元性が設定され、二元性の統合に向かう神智学的なプログラムの条件が整う。じつに重層的な入れ子構造だ。

 岡﨑乾二郎は「神殿のための絵画」の「大型の人物像絵画、WU /薔薇シリーズ、グループⅢ」(1907)の分析において、同シリーズに描かれた人物像の身振りが、先行して制作された「原初の混沌」「エロス・シリーズ」に含まれる形象の意味を絵解きするものに見えると述べている(*12)。つまり、あるシリーズ(この場合は「原初の混沌」と「エロス・シリーズ」)の画面内に登場する形象を別のシリーズ(「大型の人物像絵画」)のなかに図表(ダイヤグラム)として再登場させ、指示的な身振りの描き込みによって注釈する構造がある、という話である。この論を敷衍するならば、「女性シリーズ」「男性シリーズ」の人物たちは、シリーズ内部ではなく「神殿のための絵画」全体に対して指示的な身振りを行なっていると考えられるのではないか。たとえば、修道女/修道士たちの内面に(「女性シリーズ」「男性シリーズ」以外の)「神殿のための絵画」全作品の世界が広がっていると想像することは可能だろうか。ちょうど、「小宇宙」のなかに「大宇宙」が内包されている、といった具合に。

 「神殿のための絵画」には、画中の要素からシリーズ内/外の連関に至るまで、相当に練り込まれた複数のレベルの入れ子構造がある。しかも、その構造の外縁は閉じることがなく、内外反転の契機すらも秘めている。シリーズ全体がつくりだす宇宙は、絵を見る「私」も含め、すべてを呑み込みうるものとして存在しているのである。

ヒルマ・アフ・クリント 大型の人物像絵画、WU /薔薇シリーズ、グループIII、No. 5、これまでの全作品(仕事)の鍵 1907 キャンバスに油彩 58×79cm By courtesy of The Hilma af Klint Foundation

*9──港千尋『ヒルマ・アフ・クリント 色彩のスピリチュアリティ』(*3)、171-172頁。
*10──「H」の文字が画中にあらわれる代表的な作例としては、「大型の人物像絵画、 WU /薔薇シリーズ、グループ III」のなかでもっとも重要と思われる「No.5」(1907)を参照(同作は「これまでの全作品(仕事)の鍵」というサブタイトルを持つ)。
*11──アルベルト・マングェル『読書の歴史 あるいは読者の歴史』原田範行訳、柏書房、1999年、55-69頁。
*12──岡﨑乾二郎「認識の階梯:ヒルマ・アフ・クリントの絵画」『ヒルマ・アフ・クリント展』(*4)、220頁。

編集部

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