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望月桂の不敬なユーモア──未来派・アナキズム・へちま。中島晴矢評「望月桂 自由を扶くひと」展【3/4ページ】

「政治」を風刺する不敬なディスクール

 こうした世界的同時性のもと黒耀会展に出品された望月桂の平面作品には、未来派の影響を色濃く認めることができる。本稿冒頭で取り上げた《反逆性》に加えて、《製紙工場》(1920)や《遠眼鏡》(1920)にはジャコモ・バッラやウンベルト・ボッチョーニによく似た運動性が描かれていた。

 肝要なのは、そうした形式の一致に反して、主題である「機械」の取り扱いが真逆であること。マリネッティが『未来派宣言』(1909)で「疾走する自動車は《サモトラケのニケ》より美しい」と謳ったように、イタリア未来派は新たなテクノロジーとしての「機械」を手放しで礼賛する。だが、望月はそれを冷たく非人間的なものとして批判的に捉えた。そのため、《製紙工場》では「母性保護論争」を引き起こした女工の低賃金問題を、《機械は大丈夫か》では手首が切断された印刷工の労働災害を告発する。こうして未来派的な技法を用いながら反機械主義的なメッセージを込めることで、望月はアイロニカルな独自の表現様式を獲得していたのだ。

望月桂 製紙工場 1920
提供=原爆の図 丸木美術館

 なお、「機械主義」は当時の文化的な環境における重要な共通前提だった。そのコンテクストに則って書かれたのが、例えば新感覚派・横光利一の『機械』(1931)である。ネームプレート工場を舞台に、主人と3人の職人による心身の格闘を改行や句読点の極端に少ない文体で綴った小説だ。たしかに『機械』はプロレタリア文学的な物語の設定より、いわゆる「第四人称」を駆使した実験的なスタイルのほうに力点を置いていた。だが、前衛的な手法と反機械主義的な内容の共存という意味で望月作品に重なるところがある。野中潤は『機械』を「メタ・プロレタリア文学」だと評したが、それに倣って《反逆性》や《製紙工場》を「メタ・プロレタリア美術」と言うこともできるだろう。

 そして、本展で一番の問題作となるのが大正天皇を描いた作品《遠眼鏡》(1920)だ。世間に流布した「遠眼鏡事件」を戯画化した本作は、未来派的ないし俳画的な手法によって天皇の姿を直写した。「遠眼鏡事件」とは、意思薄弱という噂のあった大正天皇が帝国議会の開院式で詔勅を読んでから、その勅書を丸めて遠眼鏡のように議員席を見渡したとされる風説。黒耀会第2回展に出品され、むろん警察によって撤回・没収された作品のひとつである。

望月桂 遠眼鏡 1920
提供=原爆の図 丸木美術館

 当時の社会状況において、「御真影」以外で天皇を描くことに対する忌避感は現在の比ではなかった。例えば小林多喜二は『蟹工船』(1929)の描写が「不敬罪」と見なされ、治安維持法違反にふれたとして投獄される。当該のシーンとは、皇室への献上品となる蟹缶詰をつくる漁夫の「石ころでも入れておけ!──かまうもんか!」という台詞。後に多喜二は特攻警察による激しい拷問で死に至るが、これほど天皇に関する表現は不自由を強いられていた。

 文芸批評家の渡部直巳は『不敬文学論序説』(1999)のなかで、天皇をめぐる言説空間では「周囲に数多くの文字を欲すると同時に、肝心のものは隠す」という「転倒的な遠近法」が働くと分析する。不敬罪や大逆罪の敷かれた世の中にあって、この近づくと同時に遠ざかる「接近=回避のディスクール」は、少数の例外を除いて天皇表象の主流をなしていた。その例外のひとつこそ、望月桂の《遠眼鏡》にほかならない。

 墨と水彩によるシンプルな線で、画面右上には大きく大正天皇の顔が、下部には有象無象の議員たちの後頭部が描かれ、中央の大部分を「遠眼鏡」とその残像が占めている。右目を閉じ、眉間にぐっと力を入れて、丸めた勅書を左目で覗き込む大正天皇のその大真面目な表情。よく見れば、勅書の先から黒目がぴょこぴょこ飛び出しているのもユニークだ。なるほど、それはリアリズムではなくカリカチュアだろうが、画面上で天皇へと無媒介に「接近」し、その相貌をあっけらかんと描出してしまっているのは間違いない。《機械は大丈夫か》らと同様のセオリーを適用すれば、この絵からは画題への批判精神を汲み取ることもできる。

 もちろん別の作家にも「不敬」な作品は見られるが、その批評性は望月特有のものだろう。例えば、大正天皇を直写した例外のひとつに中野重治の詩「雨の降る品川駅」(1929)がある。母国へ帰る朝鮮人を見送りながら、語り手は「日本の天皇」について「彼の髪の毛」「彼の狭い額」「彼の眼鏡」「彼の髭」「彼の醜い猫背」と細部まで言葉にしてから、きわめて不穏で暴力的な「大逆」の光景を幻視するのだが、そのむき出しの直截性はすさまじい。もっとも戦後の「政治と文学」論争に自明なように、共産主義者である中野にとって、「文学」はあくまで「政治」に従属するものだった。いっぽう、望月作品には「政治」と「文学(=美術)」がよりフラットに並置されている印象を受ける。中野の「政治>文学」が言葉によるテロリズムだとすれば、望月の「政治 ≶ 美術」はユーモアとアイロニーが行き来する「風刺」のはずだ。その飄々たる筆致は、どちらかと言えば皇太子と皇太子妃の「首」が「スッテンコロコロ」と転がる深沢七郎の小説『風流夢譚』(1960)を思わせもする。

 付言すれば、天皇像を露骨に描いたこれらの作品も「接近=回避のディスクール」から完全に解放されていたわけではない。《遠眼鏡》が警察に押収されたように、やはり「雨の降る品川駅」もまた、天皇にまつわる文言を伏字にする検閲がなされ度重なる改稿を経ることになる。言うまでもなく、『風流夢譚』も右翼団体の講義や圧力を受けて自主規制がなされた。すなわち、たとえ作品の内部において天皇に「接近」し得たとしても、なんらかの介入によって、作品の外部でそれを隠し遠ざける「回避」の力学が発動するのである。

 そうした事情を考慮しても、いや、むしろそれゆえにこそ、大正期に生み出された《遠眼鏡》は、日本近代美術史における特筆すべき怪作だった。しかも丸木美術館では「回避」の力学から自由に本作を鑑賞することが可能なのだ、いまのところ幸いにして。

編集部

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