吉原細見・洒落本・黄表紙の革新

第1章でまず注目すべきは、蔦重が出版人として活動する「起源」となった吉原の情報誌『吉原細見』だ。最初の蔦重版『吉原細見』である『籬の花』は、びっしりと詰め込まれた情報量の多さと、読みながら町歩きができるレイアウトに特徴がある。
吉原細見以外にも蔦重が手腕を発揮した出版物が並ぶ。『一目千本』(1774)は蔦重が初めて手がけた出版物であり、遊女を生け花になぞらえて紹介するもの。

礒田湖龍斎筆の「雛形若菜の初模様」(1775頃)は、駆け出しの蔦重が版元・西村屋与八と組んで手がけたもの。100点を超える大シリーズで、明和期から安永、天明期に活躍した湖龍斎の代表作だ。「若菜初模様」は正月の着物の柄を、「雛形」は見本帖を意味し、禿二人を連れた各妓楼自慢の遊女を艶やかに描き出す。蔦重は遊女に関わる情報提供者、吉原内の調整役として西村屋に登用されたと考えられている。

北尾重政・勝川春章画の『青楼美人合姿鏡』(1776)は蔦重が企画、出版した絵本で、当代きっての人気浮世絵師・重政と春章が競作したもの。各妓楼の遊女たちが、季節ごとに琴や書画や香合、すごろく、投扇興といった芸ごとや、座敷遊びに興じる姿を描き出している。描かれた遊女や妓楼が出版経費を負担して、得意客への贈答品、あるいは宣伝のために用いられたとされている。

黄表紙の一点であり、おとぎ話「浦島太郎」の後日譚をストーリーとする荒唐無稽なパロディの山東京伝作『箱入娘面屋人魚』(1791)。この序文では蔦重自身が登場しており、「まじめなる口上」のなかで、寛政元年(1789)に取締りにかかり、過料を申しつけられたため、筆を折ろうとした京伝に無理を言って筆を執らせたという経緯が書かれている。出版統制にも屈しない版元・蔦重の姿が垣間見える1冊だ。