本章では、東洲斎写楽も大きく紹介されている。写楽は、10ヶ月で140点以上の作品を手がけ、その後姿を消した絵師。その活動は4期に分けられる。

顔の特徴をリアルに描き出す第1期に制作された《三代目大谷鬼次の江戸兵衛》(重要文化財、1794)は多くの人が見覚えのあるものだろう。本作は、寛政の改革で痛手を負った蔦重が岸回生をはかった役者大首絵の1枚。当時無名の新人絵師だった写楽が夏興行に合わせ、寛政6年5月に28枚の大首絵を一挙に刊行するという離れ業を見せた。背景の黒雲母摺りによって、暗い舞台に映える役者をよりリアルに描き出している。「恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)」に取材したこの1枚は、用金(ようきん)を奪おうとする江戸兵衛を描いたもので、殺気がみなぎっている。
同じく重要文化財の《二代目瀬川富三郎の大岸蔵人妻やどり木》(1794)は、寛政6年5月に都座で上演された元禄14年(1701)に起きた「亀山の仇討ち」を脚色した「花菖蒲文禄曾我(はなあやめぶんろくそが)」に取材したもので、第一幕の石井源蔵の祝言の場面といわれている。面長で口が小さく、あごが出て、えらの張った顔立ちをうまくとらえた1枚だ。

これら浮世絵の傑作が並ぶ様は、版元・蔦重のひとつの到達点を示している。なお、蔦重は写楽の役者大首絵28枚を刊行した3年後の1794年に脚気によって48歳でこの世を去った。
なお最後の附章「天明寛政、江戸の街」では、蔦重が活躍した天明・寛政期の江戸の街を再現展示。耕書堂も再現されており、実際に中に入ることも可能だ。


