2階のギャラリーは、草間がその来歴のなかで、精神的苦痛とどのように対峙し制作に反映してきたのかを、作品や関連資料によって紹介している。
草間は家庭を顧みなかった放埒な父と、苛烈な性格の母のもと、幼少期から精神的な負荷を受けながら育ち、幼少期より水玉や網目などが現れた絵を描いていた。画家になることも母親に反対されていたため、画材の入手に苦慮しており、例えば初期作《芽》(1951)などは種袋を木枠に張ってキャンバスをつくり描いたものだ。若い草間の心の奥底から湧き上がる苦悩と制作への情念があらわれた、迫力ある作品といえるだろう。

渡米後の草間の作品としては《14丁目のハプニング》(1966)に注目したい。おさげ髪の草間がニューヨークのダウンタウンで、赤い水玉柄のファルスの集合体に横たわるパフォーマンスで、自身の恐怖の対象である男性器の群れを、自らの身体をもって乗り越えようとする作品だ。

精神状態が悪化し、帰国後の75年からは精神科に入院することになった草間。入院中の病院では膨大なコラージュや色紙などを制作した。死の淵に立つ草間の危機的な精神状態が現れているとともに、来たるべき解放の予感も感じさせる作品群といえるだろう。
