第1章「近代の蒐集として」
核の恐怖、環境問題、都市化とそこに生きる人々の心理、人間社会の破壊と再生。ゴジラは物理面、心理面ともに様々なものを内包し、それゆえ混沌とした存在といえる。それは美術作品も同様で、異なる時代、地域、社会で生み出されたものが美術館に集まったとき、表現の奥に宿る記憶や感情、象徴は混ざり合い、ある混沌を形成する。ことに社会との関係を問うことを求められる現代美術においては、その傾向はますます強まっている。本章では、戦後の日本が抱えたであろう問題や感情を「近代の蒐集」と位置づけ、いまを生きるアーティストが再構築する。
横尾忠則は、1985年に発表したゴジラにまつわるセラミックのパネル16枚組の作品を再制作した。オリジナルの組み合わせのほか、パネルの配置を変更した2点を加えた極彩色の迫力の3点は、「破壊」をキーワードに、過去から現在、そして未来までをも暗示する。

福田美蘭は核の恐怖を具現化したゴジラに注目し、「科学技術の進歩に現代はどう向き合うのか」を、架空の近日公開のポスターに表す。街に配布することを想定して大量に刷られた昭和のテイスト満載のポスターには、AI兵器による現代戦争が示されている。時代を敷衍しながら、現代の問題をユーモアと皮肉に込める絶妙さは健在。ぜひ会場で確認したい。
ゴジラとの出会いが作家として活動するきっかけのひとつとなったと語るO JUNは、子供のころから使用するクレヨンの線を重ねたビル群と「ごじら」の文字で、線に込められる人々の記憶とゴジラの発する熱線を交錯させる。

そして、青柳菜摘は架空のニュース映像で、ユーモラスにゴジラと人間の関係性を問いつつ、報道の危うさと盲信への警告を発した。
