忘れてはならないのは、こうした貴重な記録写真の数々が残っているのは、撮影者や保管者の矜持があったからだということだ。終戦直後、陸軍は進駐軍の到着に備えて機密書類とともに写真を焼却。進駐軍から報道各社に対しても撮影した写真を提出するようにとの命令もあった。林と菊池のネガも接収されそうになったが、上司であった写真家・木村伊兵衛(1901〜1974)がネガを守ったことで散逸を防いだという。

また、9月19日にはGHQがプレスコード(報道検閲)を発令して以降、報道機関は自己規制を行い、以降、原爆報道は激減していく。この時期の原爆記録が貴重なのは、こうした報道規制のなかでの小さな戦いをくぐり抜けたからでもある。

本展の最後には、林による次の言葉が付されている。「このような記録は、私たちの写真が永遠に最後であるように」。残念ながら、いまの私たちの手の中のスマートフォンには、ウクライナ、ガザ、その他世界中で崩れ落ちた建物と、苦しむ人々の姿が映し出される。そして何よりも、あらゆる情報の量が膨れ上がったなか、それらの情報を無視することも容易な時代にもなっている。苦難と苦悩のなかでも広島原爆をとらえようとした、過去のジャーナリストたちの志を目に焼きつけたい展覧会だ。