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「藤田嗣治×国吉康雄:二人のパラレル・キャリア―百年目の再会」(兵庫県立美術館)開幕レポート。藤田が照らし出す国吉の魅力

神戸の兵庫県立美術館で、藤田嗣治と国吉康雄のふたりの画歴を比較しながらたどる特別展「藤田嗣治×国吉康雄:二人のパラレル・キャリア―百年目の再会」が開幕した。会期は8月17日まで。

文・撮影=安原真広(ウェブ版「美術手帖」副編集長)

展示風景より、左から藤田嗣治《タピスリーの裸婦》(1923)京都国立近代美術館蔵、国吉康雄《幸福の島》(1924)東京都現代美術館蔵

 神戸の兵庫県立美術館で特別展「藤田嗣治×国吉康雄:二人のパラレル・キャリア―百年目の再会」が開幕した。会期は8月17日まで。監修は同館館長の林洋子、担当は同館学芸員の橋本こずえ。

展示風景より、国吉康雄《幸福の島》(1924) 東京都現代美術館蔵

 本展は20世紀前半の海外で成功と挫折を経験した二人の日本人画家、藤田嗣治(1886〜1968)と国吉康雄(1889〜1953)が、ともにフランス・パリに滞在した1925年から100年目となるのを記念するものだ。

展示風景より、左から国吉康雄《制作中》(1943)福武コレクション、藤田嗣治《自画像》(1943)豊田市美術館蔵

 まずはふたりの来歴を確認したい。藤田は、東京美術学校卒業後、26歳で単身フランスに渡り、1920年代「素晴らしき乳白色の下地」と称賛された独自の画風によって、エコール・ド・パリの寵児としてフランスでの名声を確立した。いっぽうの国吉は16歳で渡米、画才を認められて研鑽を積み、アメリカ具象絵画を代表する画家としての地位を築いた。パリとニューヨークで活躍した二人の画家は、1925年と28年のパリ、1930年のニューヨークで接点を持つが、太平洋戦争によりその関係性が破綻。終戦後、1949年の10カ月を藤田はニューヨークで過ごすものの、現地にいた国吉との再会は叶わなかった。

展示風景より、左から国吉康雄《バンダナをつけた女》(1936)、《もの思う女》(1935)ともに福武コレクション

編集部

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