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「藤田嗣治×国吉康雄:二人のパラレル・キャリア―百年目の再会」(兵庫県立美術館)開幕レポート。藤田が照らし出す国吉の魅力【4/5ページ】

 第5章「1930年代:軍国主義化する母国の内外で」、第6章「1941年から45年:日米開戦下の、運命の二人」では、日本が軍国主義化するなかで、ふたりの道が分かたれていった時代を作品で追う。

展示風景より、左が藤田嗣治《自画像》(1936)公益財団法人 平野政吉美術財団蔵

 藤田は30年代初頭から33年にかけて、中南米を経由し日本に帰国。帰国後の藤田はフランス、日本、アジアの風俗などの画題に取り組み始める。そして日米開戦後は、よく知られているように藤田は軍部からの注文を受けて作戦記録画を描くようになっていった。

展示風景より、左から藤田嗣治《十二月八日の真珠湾》(1942)、《ソロモン海戦に於ける米兵の末路》(1943)ともに東京国立近代美術館蔵

 いっぽうの国吉は、開戦後のアメリカでは敵性外国人となった。行動制限を受けるなか、国吉は日本の軍国主義を批判する活動や制作を行うことで、アメリカで必死に生きようとする。会場では国吉が描いた戦争ポスター「敵を撲滅せよ―戦争国債を買おう」の下絵なども見ることができ、国吉がアメリカの民主主義を支持する立場を明確にしていたことがよくわかる。

展示風景より、右が《跳び上がろうとする頭のない馬》(1945)公益財団法人大原芸術財団 大原美術館蔵
展示風景より、左が《戦争ポスター「敵を撲滅せよ―戦争国債を買おう」》(1943)福武コレクション

編集部

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