第1章「梁山泊の中で —安藤照、彫刻家になる」では、安藤の初期作品にくわえ、彼のライバルであった同世代の彫刻家の作品が展示されている。安藤は地元の鹿児島から上京し、早稲田大学部商科へ進学したが、芸術家を志し同校を退学。その後東京美術学校彫刻科塑造部予備科に入学し、師の朝倉文夫や親友となる堀江尚志など、のちに安藤の人生に大きな影響を与えた人々と出会う。
本章の初めに展示されている《男首》は、在学中に制作した自刻品だと考えられている。当時旧体制が続いていることを問題視されていた同校に、教授として朝倉文夫が着任したことで校内改革が行われた。本作は顔の凹凸を細部まで表す自然主義的な写実性を持ちあわせており、安藤が朝倉の影響を受けたことがわかる。

また当時は彫刻家が増えた激動の時代でもあり、朝倉をはじめとした上の世代だけでなく、安藤の同期や後輩も含め、いまもなお歴史に名を残す彫刻家が多く誕生している。会場には彼らの作品が並び、当時の彫刻界の勢いを感じられるともに、それぞれの作家の特徴を比較することも可能だ。

なかでも、安藤の生涯の親友ともいえる堀江尚志の《ある女》は、会場内でも一際目をひく。本作は帝国美術院第2回美術展覧会の初出品作でありながら、初入選かつ特選となり、大きな話題となったもの。じつは本作出品の裏側には興味深いエピソードがある。本作はもともと堀江の習作であり、完成後には壊す予定だった。しかし完成度の高さに驚いた安藤や松田尚之は、本人に無断で石膏取りを行い、堀江を説得して出品した。
それが特選になり皆を驚かす出来事となるが、安藤がいかに周囲の仲間との交流を重んじ、かつある種強引なほどの勢いで周りを巻き込み時代を引っ張っていくような人柄だったのかが、このエピソードからわかるだろう。堀江はこの後安藤とともに彫刻界の中堅を担っていく人材となる。
