そして本展最後の第5章「迫りくる戦禍 —安藤照の死」では、安藤の晩年となる1931年の満州事変から1941年の太平洋戦争開戦、そして 1945年の安藤の死までを追う内容となっている。
当時細かい部分の描写を繊細に表現する写実表現が主流だった上に、時代背景から戦争を主題とするような作品が多く制作された。しかし安藤はそんな社会の気風に惑わされることなく、淡々と自身のスタイルで制作を続けた。

美術展、個人蔵
1942年の太平洋戦争真っ只中に制作された《裸婦座像》は顕著にその姿勢を表している。当時台頭していた戦争テーマでもなく、抽象化や装飾化、表現主義のすすんだ新様式とも違う、安藤らしい物質感のある作品からは、安藤の確固たる意志を感じられる。反戦の姿勢をとっていたわけではないものの、アートと戦争は別物であり、「戦禍においても純粋芸術を続けるべきだ」という安藤の主張が強く現れている。

しかし時代の波に抗えず、ついに1944年に「塊人社」は、安藤のアトリエを作業所とした軍需工場となり、戦闘機の部品の石膏型を製作するようになった。そして翌年1945年に山の手空襲に襲われ、防空壕の中で家族とともに蒸し焼きにされ、重要作のほとんども焼失された。会場には、安藤の後輩である小室徹が、当時の様子を記した日記が展示されている。

戦前、技術も人望もあり勢いに乗っていた安藤。作家としての確固たる意志を貫き活動を続けていても、戦争の波には抗うことができなかった。戦後80年というこのタイミングで、改めて安藤という作家について深く知り、同時に、忘れてはいけない出来事についても考えるきっかけとなることを願う。