そして第3章「鹿児島のために、渋谷のために」では、安藤の故郷である鹿児島ゆかりの作品や、渋谷を代表するモニュメント《忠犬ハチ公像》が展示されている。当時地元を離れ、都心で作品発表を行う作家が多いなか、安藤は生まれ故郷のためにも制作を続けており、西郷像を制作したのもそういった背景が関係している。
また、代々木初台(現在の代々木五丁目)にアトリエを構えていた安藤は、渋谷という土地にも密接に関わっており、《忠犬ハチ公像》はその象徴ともいえる。ただじつは現在渋谷にある忠犬ハチ公像は二代目であり、安藤が手がけた作品ではない。安藤が制作した初代のものは、1934年に完成したものの、第二次世界大戦末期の1944年に出された金属類回収令によって溶解されてしまう。そのため現在実物を見ることはできず、安藤の長男・士(たけし)が初代をモデルに制作した二代目が渋谷駅前に置かれている。
会場では、小型の初代《忠犬ハチ公像》が3つ並んでいるが、左2つがいわゆる渋谷のモニュメントとなっている《忠犬ハチ公像》だ。真ん中のものは石膏原型であり、安藤自身が作成したもの。それを元にテラコッタで制作したものが並んでいる。

当時大きなモニュメントをつくる際は、募金を募り、募金をしてくれた人には返礼品をわたすという、いまでいうクラウドファンディング形式的な資金調達を行うことが多かった。その返礼品としてつくられた小型のものが、会場に展示されている。焼け跡の中から見つけ出されたこれらは、初代《忠犬ハチ公像》の面影を感じられる大変貴重なものだ。