第3章「吉原の本屋から『版元蔦屋』誕生へ 安永から天明期の浮世絵」では、蔦重が版元として駆け出しの頃であった安永期(1772〜81)から、本格的に版元として活動していく天明期(1781〜89)までを展観する。

とくに天明期から覚政期は、のちに「浮世絵の黄金期」といわれるように、浮世絵の技術と表現が大きく発展しはじめた時代だった。本章では儀田湖龍斎(1735〜?)、北尾重政(1739〜1820)、勝川春章(1743〜92)、鳥居清長(1752〜1815)、窪俊満(1757〜1820)、勝川春潮(生没年不詳)といった、様々な絵師たちの技巧をこらした作品を見ることができる。


第4章「蔦屋の偉業 歌麿、写楽、長喜のプロデュース」では、蔦屋によってプロデュースされた北尾政演(1761〜1816)、喜多川歌麿、東洲斎写楽(生没年不詳)、栄松斎長喜(生役年不詳)らを中心に紹介。

1783年(天明3年)、蔦屋は日本橋油通町に耕書堂を出店すると、版売として精力的に活動をしていく。狂歌師たちに狂歌を詠む場所を提供していた蔦屋は、歌麿を盛り立てて、狂歌絵本の制作に力を入れていった。なかでも、虫や草花を描いた『画本虫撰』の繊細な昆虫や植物の描写は目を見張るものがあり、海外でも高い評価を受けることになる。

また、歌麿の代名詞となっている大首絵(首から上を大きく描いた浮世絵)の美人画は、寛政期に入って盛んに描かれ、一斉を風靡した。また、その強烈な表情で浮世絵を象徴するアイコンにもなっている、東洲斎写楽の《市川鰕蔵の竹村定之進》や《三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛》(ともに1794、寛政6年)も本章で見ることが可能だ。

